愚か者と軋み合わない世の中 Vol.6
2020.10.01
VOL.06 軋み合う社会と谷崎潤一郎 

 谷崎潤一郎の「刺青」という小説の冒頭の一文を紹介する。



 「其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。」



 個人的には、不勉強のせいもあって、未だこの小説の全文を読んではいない。

 しかし、この一文の出だしには正直言って衝撃を受けたので、この言葉を机の上に書いて貼ってある。
 時々この文を読んでは、ああ真理とは時代を超えて通用するものだとつくづく感じるのである。
 
 この小説は、明治43年11月の雑誌「新思潮」に掲載された処女作ということらしいが、明治も終わろうとするこの時代にこのような考え方ができた小説家の偉大さに感銘を受けた。

 愚かさを徳と規定し、小賢しく正義を主張するよりも軋み合わない世界は、いわば日本古来の大人の世界である。

 愚かさを徳と考え、一歩譲ることによりお互いに角突き合わせることなく生きることの心地良さ。

 悪く言えば現実逃避と非難されるかもしれないが、社会の中で声高に社会正義を主張しなければならない騒々しい世界にも正直いってウンザリしている。

 昨今は、クレーマーと称する理屈にもならない理屈を並べて社会正義を主張する者が多いが、谷崎潤一郎が今の世を見たら何と言うのだろうか。

 一般市民もマスコミも小賢しい理屈を並べて社会正義を振りかざすことが多いが、谷崎潤一郎が言った言葉を良く噛みしめる必要があるのではないかとつくづく思う今日この頃である。

 ところで、各種の偽装事件や料理の使い回し等はまだまだ沢山あって、報道されたのはホンの氷山の一角と思われる。
 戦後の昭和レトロの時代を過ぎ、平成の時代に入ってから人間の品格は格段に落ちたのではないかと考え込まざるを得ない。
 グローバルスタンダードの名のもとに、実はアメリカの一方的なご都合主義であったのに軽々しくアメリカの言いなりになり、金儲け至上主義が蔓延り、その挙句が各種の偽装事件である。
 お金のあることは良いことだと持ち上げられ、選挙に出た若者もいたが、持ち上げた大人の見識を疑わざるを得ない。

 質素倹約に励み、謙虚さを大事にした古き良き日本人はいったい何処に行ったのであろうか。

 この騒々しい世の中を見るにつけ、ゆとりのあるホットくつろげる時代がはたして来るのか悩まずにはいられない。(年のせいか?)

 個人情報に対する過剰ともいえる反応や、通り魔事件の増加・各種の偽装事件、更には無駄遣いに対する感情的過ぎるともいえる反応等、世の中は軋みに軋んでいる。

 それはあたかも耐用年数が尽きつつある木造家屋のようである。

 風が吹けば軋み、廊下を歩いても軋み、何時壊れてもおかしくない老朽家屋のように今の日本は軋んでいる。

 単に景気の良し悪しで片付けられるような状況ではなく、大袈裟に言えば日本の文化の有り様そのものが問われているような気がするのである。

 杞憂と笑われるかもしれないが、日本の将来を案じるこの頃である。

 最後に、ジャーナリストの徳岡孝夫氏が言っていた言葉が妙に胸にひっかかっているので、ご紹介する。読者の皆様も噛みしめていただければ幸いである。


 「私は愚か者であるから正義が行なわれる世の中より軋み合わない世の中の方が暮しやすい。」



(2008年11月 Evaluation no.31掲載)

2020.10.01 16:27 | 固定リンク | 鑑定雑感

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