ホモ・エコノミクスとゴルゴ13 Vol.6
2013.07.16
VOL.06 ヒューリスティクスによるバイアス

 前述のとおり、ある判断や選択に際して人間はヒューリスティクスを取りがちである。

 そして、ヒューリスティクスを取る際に気をつけなければならないのは、「ヒューリスティクスによるバイアス」があることだと指摘している。
 同書の引用が長くなるが、詳しく紹介してみたい。



 「ヒューリスティクスによるバイアス」の第一の要因は、「代表性」であると指摘している。
 そして「代表性」とは、「典型的と思われるものを判断の基準ないし答として転用すること」と定義し、「代表性ヒューリスティクス」にはいくつもの種類があるとし、下記の例を挙げている。

  ①妥当性の錯覚

  ②ランダムな事象に規則性を見つけようとする錯誤

  ③標本の大きさの無視

  ④平均値への回帰の誤った理解

  ⑤事前確率の無視等

 次に、第二の要因として、「利用可能性」を挙げている。

 利用可能性とは、思い浮かびやすさ、つまりある事象が起きる確率や頻度を考える際に、最近の事例やかつての顕著な事例と特徴を思い出すことで評価することとしている。



 実際に我々は、テレビや新聞等のメディアで大きく取り上げられると重大事件だと思ったり、高い確率で事件が起きたりすると勘違いする傾向があるが、これがまさに「利用可能性」によるヒューリスティクスのバイアスである。

 毒入りギョーザ事件が発生すると、ギョーザの売れ行きは激減した。
 確率は極めて低いのに。

 BSE問題はアメリカ牛の輸入規制問題に発展し、吉野家の牛丼が一時期店頭から消えたことは記憶に新しい。

 確率的には自動車事故の方がはるかに危険度が高いのに、自動車が生産禁止になることはない。
 冷静な分析より情緒的、センセーショナルなほうが説得力が高いのは哀しいことである。
 がしかし、それに振り回されている自分に気がつかないのはもっと哀しい。
2013.07.16 09:54 | 固定リンク | 鑑定雑感

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