鑑定業界と相互不信社会 Vol.2
2020.05.28
VOL.02 取引事例収集の方法と法的根拠 

 取引事例収集にあたって不動産鑑定士にどうしても必要なのは、法務局から市町村役場に送付される異動通知である。

 異動通知は戦後の台帳一元化に伴って法務局から市町村役場の固定資産税課に通知される土地・建物の所有権の移動・分合筆・新増築・取壊し等の情報であり、固定資産税課ではこれを基礎に課税客体の把握を行なっている。
 この異動通知を見れば、売買を原因とする所有権の移動状況は一目瞭然である。

 しかし、現行の鑑定業法(宅建業法とほぼ同じ法律構成になっているのに、鑑定評価に関する法律などという法の本質が不明な名称のため、ここでは鑑定業法と称することにする)では、異動通知を閲覧する権利は何も定められていないが、鑑定業法は業者法であって資格者法ではないので、至極当然と言えば当然のことである。
 つまり、加入・脱退が自由な団体では私的自治の完徹ができないので、法律上特別な扱いはできないということであると考えられる。

 では何故、これまで当然の如く異動通知を閲覧し、事例収集を行なってこれたのか、である。
 それは、地価公示・地価調査があったからである。

 つまり、我が業界は、地価公示や地価調査を通して事例の収集を行ない、それを協会に集約し、地価公示・地価調査に従事していない、つまり事例収集をしない会員にも閲覧させてきたのである。

 しかしながら、このことをよくよく考えてみると、地価公示法には資料収集等に関する調査権の法律的根拠は見当らず、また、協会が当然の如く地価公示評価員から地価公示等の作業に関連して収集した取引事例を提出させ得る法律上の根拠も見当らない。
 協会と地価公示評価員の間には、直接的な指揮命令関係にはないため、地価公示評価員に対して事例の提出を命ずることはできない。

 地価調査は、協会本部との直接契約が少ないため、特にこのことが明瞭である。
 つまり、地方の協会では、地方協会の会員以外には取引事例等を閲覧させないという状況が生じているものの、協会本部は地方協会に対して会員の閲覧権を強要したり、地価調査で収集した資料を協会本部に提出せよとは言えない。
 契約の主体が異なるのであるから、当然のことである。

 しかしそうは言っても、資料は不動産鑑定士の生命線であり、共同利用は避けられない。
 結局のところ、資料収集のあり方を会員全体の問題として考えてこなかったことが、問題を根深くしていると考える。

 ところで、地価公示法をよく見ると、地価公示評価員の調査権に言及しているのは同法第22条の標準地への立入り調査だけである。
 尚、地価公示を補完する形で『標準地の鑑定評価の基準に関する省令』があるが、資料の収集に関する同法第5条をみると、そこには


 標準地の鑑定評価にあたっては、これに必要とされる資料(取引事例・地代事例等)を適切かつ十分に収集しなければならない



としているだけで、資料収集に必要な調査権限の定めはない。

 地価調査は国土利用計画法施行令第9条で基準地の価格を判定するために不動産鑑定士の鑑定評価を求めるものとされているだけで、基準地の鑑定評価に必要な資料の収集のための調査権限に言及している条文は見当らない。
 しかも、もっと驚くべきことは、地価公示法では第26条で鑑定業法の除外規定があるのに、国土法にはその規定がないことである。 ということは、地価調査は鑑定業法の対象となるというこである。
 つまり、鑑定評価書は鑑定業者に発行権限があるということであるから、現在のように資格者個人名で発行していることには疑問符がつくことになる。

 いずれにしても、地価公示・地価調査にあたって異動通知の閲覧を市町村に対して当然の如く請求できるという法的根拠は見当らない。
 ならば何故今までは可能だったかと言えば、個人的な感想ではあるが、業務の公益性と実施主体である上級官庁の下級官庁に対する優越的地位の行使にあったと考えざるを得ない。この矛盾が大きくクローズアップされたのは、個人情報保護法の制定である。
2020.05.28 11:35 | 固定リンク | 鑑定雑感
鑑定業界と相互不信社会 Vol.1
2020.05.21
VOL.01 個人情報保護法施行以前の鑑定業界

 個人情報の取扱いがこうまで神経質にならなくても良かった個人情報保護法以前の社会は、ある意味で居心地が良かった。

 つまり、鑑定評価に必要な情報、特に取引事例・賃貸事例等は個人情報の固まりであるが、不動産鑑定士同士の間では情報交換の重要性等から事例交換等は当り前のことであったからである。

 事例収集がいかに大変で手間暇のかかるものかは、事例収集等を行なった者しか解らないであろう。

 特に地方では、不動産業者等もおらず、売却希望物件がメディア等に掲載されることもないので、情報収集はまさに足で稼いでいくらという時代であった。

 それ故に、情報の貴重さ、情報入手の苦労等が共感できたため、資格者同士お互い助け合って業務を実施してきたのである。

 貴重な情報であるが故に、その取扱いは慎重であったし、相互信頼の絆が固かったからこそ取引事例等の個人情報の取扱いに特に神経質になることもなかたっと考えている。


2020.05.21 11:30 | 固定リンク | 鑑定雑感
不動産鑑定士はエスパー!! Vol.5
2020.05.14
VOL.05 不動産鑑定士はエスパー!!

 以上のように、不動産鑑定士が土地・建物・土木・法律・金融・経済・税制等の全ての分野にわたって各分野の専門家と互角にわたりあうことは不可能である。

 不動産鑑定士の専門性と言ったところで、その程度はたかがしれている。
 自虐的かもしれないが、つくづくそう思う今日この頃である。

 ERの研修から思い起こしたが、ERでさえその使用は自己責任でと逃げを打ち、更に提供された情報を基礎とし、かつその情報の正確性に関しては明示・黙示の保証を一切しないと明言している。
 その他にも免責条項を設け、説明責任は負うが結果責任は負わないとしている。

 これだけの限定条件つきのERを、不動産鑑定士が独自に精査し足りない調査をやれというのであるから、ただただ呆れるだけである。
 ERのガイドラインの言葉を借りれば、不動産鑑定士も提供された情報に基づいて判断するだけで提供されたERの正確性や十分性について精査する必要はないと、どうして言えないのであろうか。
 仮に言えないとすれば、ER作成者以上の専門的能力が不動産鑑定士にあると思っているのであろうか。

 いずれにしても、全国約6000名の会員の90%以上は、証券化不動産の評価をする機会に巡り会うことはないであろう。

 他方、証券化不動産の評価の機会の多い人は、競売や固定資産税評価、訴訟鑑定、地代、家賃、農地、山林の評価に巡り会う機会は極めて少ないものと思われる。
 とすれば、基準が不動産鑑定士に要求する各種の専門的能力を体得する機会は極めて少ないと言わざるを得ない。
 したがって、全ての分野の評価を一人の不動産鑑定士が対応できると考えることには無理があると言わざるを得ない。
 もし協会指導部が全てできると考えているのなら、まさしく不動産鑑定士は全能の神であり、エスパー(超能力者)とでも言わなければならないことになる。

 個人事務所の不動産鑑定士としては何10年やっても解らないことばかりである。

 証券化不動産の評価依頼がきても、ERの精査をする能力をどうやって体得すればよいのであろうか。
 また、下請け仕事に追いまくられている個人事務所に、その時間はあるのであろうか。

 不動産鑑定士の大半が全ての分野についてその道の専門家と互角にわたりあえる能力が必要とされるのなら、筆者は失格である。
 全ての評価を体得できる鑑定事務所が存在するのかどうかは知らないし、少なくとも筆者の知る範囲では存在しない。

 残された時間は少なく、仕事も少なく、気力も少なく、体力も少なく、言葉は足りないが口数だけは多くなる今日この頃、少なくともエスパーとなる能力は持ち合わせていないと断言できる。

 複雑・多様な時代には、資格制度も評価分野別にランク分けされる日が近いのかもしれない。
 不動産鑑定士は何でもできるエスパーかもしれないと錯覚してきた古き良き時代は、もうすぐ過ぎ去るのかもしれない。

 いずれにしても、国民の理解が得られない資格はやがて消えてしまうのであろう。

(2007年11月 Evaluation no.27掲載)

2020.05.14 14:33 | 固定リンク | 鑑定雑感
不動産鑑定士はエスパー!! Vol.4
2020.05.07
VOL.04 鑑定評価の専門性について

 鑑定評価は、専門家の仕事であることに疑いはないものと考える。
 しかし、以上を見ると何が専門なのか解らなくなってしまう。
 鑑定評価に必要とされる個別の分野毎に見ると、不動産鑑定士はとても専門家とはいえない。
 悪く言えば、雑学の大家?とでも言うべきなのであろう。
 筆者も含めて、各分野毎にその道の専門家と互角に立ち向える不動産鑑定士は一体どの位いるのであろうか。

 一般の不動産鑑定士にとって、各分野の全てにわたってエキスパートになることはできない。
 各分野について1年ずつみっちり勉強しても、20~30年位かかるであろうし、その勉強をしている間に昔の勉強は忘れるし、世の中はどんどん変化し知識も陳腐化する。

 したがって、本当の専門家になるためには、一つの分野について数10年単位の経験が必要と思われる。

 現在の鑑定業界の中では、評価に必要な各分野について相当の経験を積むということは、ほとんど不可能であることは前述のとおりである。
 また、入札により数万円で大量の評価をするような状況下では、とても国民に尊敬されるような仕事はできない。

 昨今は裁判所でも公認会計士に不動産鑑定をさせているケースもある他、デューデリジェンス業務等は不動産業者や土地家屋調査士等も行なっている。
 世の中は別に不動産鑑定士でなくても依頼者の注文に沿った仕事ができれば誰でもいいと考えているようである。
 
 これらの状況をよくよく考えると、鑑定評価の専門性は他の専門職種に比較すると極めて低いということが実感される。
 将来取引事例がアメリカのようにマーケットデータブックとして誰でも入手できるようになれば、経済学者や数学者が鑑定評価をするような時代がくるかもしれない。
 もしそういう時代が来たら、資格は何の意味も持たない。
 取引事例の呪縛から解き放たれた時、我々に一体どのような専門性が残されるというのであろうか。
2020.05.07 13:33 | 固定リンク | 鑑定雑感

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